「サブスタ攻略法」いりません
わたしはわたしでやっていこう
新しいSNSを見に行くたびに、わたしは同じ顔ぶれに出会う。
いや、正確には同じ人ではない。
アカウント名も違うし、アイコンも違うし、肩書きも微妙に違う。
ただ、魂が同じなのだ。
購読者を増やす方法。
個人で稼ぐ時代。
先行者利益。
あなたも今日から発信者。
やかましい。
わたしは文章を書きたいのであって、文章で勝つ方法を売りつけられたいわけではない。
新しい場所に行けば、少しは空気が違うのかと思っていた。
けれど、だいたい同じだった。
Xが地獄なら、Threadsは観葉植物を置いた地獄だった。
何も変わらない。
始めてまだ1週間だが、Substackはかなり好きなプラットフォームだ。
長い記事が書けて、短いポストもできる。
ちょっとした宣伝や、コミュニケーションもしやすい。
ページの名前や色を変えられる自由度も好ましい。
いい場所を見つけた。
そう思った。
しかし、そこにいたのは「購読者を増やす方法」を語る人々だった。
うるせ〜。
毎度毎度、お前たちはインターネットの壁紙か?
しかも厄介なのは、こういう人たちが別に悪人ではないことだ。
ただ、つまらない。
悪意があれば、まだ批判しやすい。
しかし彼らは、たいてい前向きで、勉強熱心で、行動力があり、妙に明るい。
「一緒に伸びていきましょう!」
うるさい、伸びてたまるか。
わたしは一緒に伸びたくない。
伸びなくていいから、静かに読ませてくれ。
誰かが昨日食べたケーキの話とか、子どもに言われた一言で妙に落ち込んだ話とか、買った傘を一日でなくした話とか、そういうものを読みたい。
しかしSNSでは、しばしば「面白いこと」よりも「伸びたこと」のほうが偉くなる。
どうしてわたしたちって、いつもこうなっちゃうんだろうね。
サブスタ攻略法ってなんなんだ。
SNSって攻略するようなものだっけ?
サブスタは難解なパズルゲームだったのか?
伸びた投稿が偉い、フォロワーが多ければ偉い。
そして、伸ばし方を売れる人が王になる。
その王国で、一番大切なはずの文章そのものは、だんだん背景に退いていく。
自分の文章を読まれたい、伸ばしたいという気持ちはわかる。
ただ、それだけを語られても、わたしは何も読んだ気になれない。
勝手にわたしに教えるな。
伸ばす方法とやらを。
もちろん、わかっている。
こういうものから完全に逃れることはできない。
だから、わたしは「数字なんて気にしません」と澄ました顔で言うつもりはない。
たぶん、めちゃくちゃ気にする方だ。
購読者が増えたら、その日のお茶が少しおいしくなる。
多くの人に読んで欲しいから、ずんずん宣伝もする。英語に翻訳してポストしたりもしている。
問題は、数字を気にすることではない。
数字を気にするあまり、あらゆる文章が「数字を取るための部品」になっていくことだ。
ハックの方法ばかりが残ってしまった場所で誰が発信したいと思うんだ?
攻略に躍起になるあまり、その舞台であるプラットフォーム自体を自分たちの手で壊してしまっている。
わたしは、つまらないものを、つまらないと感じる心まで手放したくない。
先に始めていたら偉いのか。
フォロワーが多いなら、毒にも薬にもならないことを言っていても面白いのか。
そういう空気に、うっかり膝をつきたくない。
ここにも先行者利益で、妙に玉座めいた場所に座っている人がいる。
その周りには、拍手係のような人たちがいる。
「さすがです!」
「勉強になります!」
「私も続きます!」
静まれ。
そんなに急いで続かんでいい。
一回、各自でお茶でも飲んで散歩にでも行ってきてほしい。
アーリーアダプターという言葉がある。
新しいものに早く飛びつく人たちのことだ。
もちろん、それ自体は悪くない。
新しい場所に早く来る人がいるから、文化が始まる。
ただし、早く来たことと、面白いことは別だ。
ここを混同したくない。
むしろ早く来て、すぐに攻略法を語りたがる人に対しては、わたしの中で危険信号が灯る。
わたしが欲しかったのは、面白い人がちゃんと見つけられる場所だ。
他人の編集が入っていない、もっと生々しくて不格好な生活の跡だ。
iPhoneから目を離し、自分が歩いている道の脇に目を向ける。
そこにはいくつもの家が並び、それぞれに人々の暮らしがある。
信じられないことだ。
本当にこんなに人生があるのか。
わたしは、それを覗き見たいのだ。
見せてほしい。
わたしに。
わたしにこそ。
しかし、そんな場所は、もしかすると最初からなかったのかもしれない。
書いたものは、できるだけ残したい。
本の形にもしてみたい。
メールで届く場所も、一応作っておきたい。
でも、それは「新しいSNSで勝つため」ではない。
つまらない人たちの隣で、つまらない勝負をしたくないからだ。
わたしは、すごい発信者になりたいのではない。
いや、少しはなりたいかもしれない。
そこは正直に言っておく。
でも、誰かのノウハウの型に、自分の生活を流し込むのは嫌だ。
怒るときは、ちゃんと自分の怒りで怒り、笑うときは、ちゃんと自分の間の悪さで笑いたい。
落ち込むときは、誰に何を言われても、自分の意思でくよくよしたい。
SNSそのものはおもしろい。
でも、SNSで幅を利かせる型が、どうしてもつまらないのだ。
どこへ行っても、同じような勝ち方をしたい人たちが、同じような言葉を語っている。
でも、だからこそ、たまに見つかる変な文章は妙に光る。
生活の匂いがする文章。
うまくまとまりきっていない文章。
何の役にも立たないけれど、読んだあと少しだけその人のことを覚えてしまう文章。
そういうものを、わたしはまだ信じている。
SNSはだいたい地獄だ。
しかし、地獄の道端にも、たまに変な花が咲いている。
わたしはたぶん、その花を探している。
ついでに、自分でも一本くらい植えようとしている。
綺麗ではないし、見つけてもらえる保証もない。
そもそも花ではなく、ただのネギかもしれない。
でも、ノウハウ屋の巨大な看板よりは、そちらのほうがまだいい。
巨大な看板を見上げるくらいなら、わたしは道端のネギをじっと見つめ、自分のネギを育てる。




もう、ず〜っと「そうそう」って頷きながら読んでしまいました!
最近、少しずつ面白い記事を発見してます。
そのうち、そういう記事の方が多くなりそうな気もします(期待を込めて☆)
僕は負けずにニラを植えようと思います。