ネギよ。麺の上ではしゃぐな。
みなさん、ご機嫌麗しゅう。
わたくし、焼きそばに玉ねぎはいらない派の者です。
いきなり過激な表明をしてしまった。
ネギ王家から命を狙われるかもしれない。
いえ、玉ねぎが嫌いなわけではありません。
まあ、大好きかと言われると少し悩みますが、カレーやシチューには入れる派です。
オニオンリングも好きです。
でも、焼きそばの玉ねぎはちょっと……ね。
なんか、ジャリジャリッとした食感。
あれが苦手かもしれない。
そもそも、わたしは麺類を食べる時、麺を楽しみたい気持ちが強い。
だから、そこまで具を欲していない。
うどんもネギ抜きにすることがある。
ラーメンもネギがたくさん入っていたら、少しよけて食べてしまう。
あれ。
やっぱりネギが嫌いなのか。
すみません。白状します。
大人なのに、ネギが苦手でした。
胸を張って好きと言えるのがオニオンリングだけの時点で、うっすら気づいていた。
テレビでネギの名産地に行って、その場で齧って「甘〜い」みたいな場面がある。
あれを、わたしはかなり訝しんで見ている。
本当に甘いのか?
その土地の人への礼儀として、甘いことにしているのではないか。
うちの子どもは、ラーメンに入っている小さいネギをすべて避けてから食べる。
親の業が、しっかりと引き継がれていて驚く。
わたしも子どもには、
「そんな小さいネギくらい食べなさい」
と言う。
そして、子どもの手前、自分の分は食べる。
でもまあ、別においしく食べてはいない。
残すのは良くないし、栄養もあるから、という人間的な理性と論理で食べている。
そこに喜びはない。
犬や猫をはじめ、多くの哺乳類にとって、ネギは毒なのだ。
人間だけがネギを掘り起こし、刻み、炒め、煮込み、薬味としてありがたがっている。
子どもの頃、親が作ってくれる焼きそばには玉ねぎが入っていた。
わたしはそれを、器用によけていた。
麺だけを食べたい。
ただそれだけの、ささやかな願いだった。
でも焼きそばの中の玉ねぎは曲者なのだ。
麺に絡む。
ソースをまとって、一見すると麺の仲間みたいな顔をしている。
こちらが油断すると、麺のふりをして口の中に入ってくる。
あの裏切りが許せなかったのかもしれない。
そもそもわたしは焼きそばに栄養や優しさを求めていない。
もっとこう、ソースと油と炭水化物が肩を組んでこちらに向かってくるような、そういう乱暴さを求めている。
野菜は別のところでたくさん仕事があるのだから、焼きそばにまで出張する必要はないはずだ。
子どもの頃は、大人になれば苦手なものは自然と食べられるようになると思っていた。
実際、食べられるようになったものはある。
昔はコーヒーなんて苦い泥水だと思っていたのに、今では毎日おいしく飲んでいる。
でも、ネギは違った。
食べられる。
でも、好きにはなっていない。
こちらが歩み寄ったに過ぎない。
ネギは何も変わっていない。
ネギよ。
嫌いとは言わない。
ただ、麺の上であまりはしゃがないでほしい。



