文章を面白く書こうとしすぎてはいけない
自戒の意味を込めて
自分で言うのは憚られるが、わたしは一応おもしろエッセイを目指している。
好きなように書くことをよしとしているが、少しだけ気をつけていることがある。
「ウケを狙いすぎないこと」
なぜなら、すべての場面でおもしろくしようとしている文章は、少し冷めてしまうからだ。
笑わないといけない感じになり、読者が身構えてしまう。
やはり、何か伝えたいことが核としてあり、笑いはおまけくらいの塩梅がいい気がする。
でも、これがとても難しい。
いつだって自分というものは客観的に見れないものだ。
たとえば、自分では自然な比喩のつもりで書いていても、
読み返すと「ここ、かなり腕まくりしているな」と思うことがある。
文章の向こう側に、鉢巻を締めた自分が見える。
鉢巻には、極太の明朝体で「おもしろ」と書いてある。なんだそいつは。最悪すぎる。
「さあさあ皆さん、ここが本日の見せ場となっております!」
「いまから例えますよ。イヨーオッ!」
だめだだめだ。書き直し。
もちろん、おもしろく読んでもらいたい気持ちはある。
いや、むしろそればかり考えて生きている。
ただ、ウケを狙っている気配が前に出すぎると、文章の温度は逆に下がる気がする。
文章の温度というより、受け取り手の温度だろうか。
読者を楽しませたいはずなのに、
読者に「これがわたしの持ち味でっせ。楽しんでいきなはれや」と圧をかけてしまう。
「これは笑ったほうがいいやつだ」
ほんのりと、そういう空気が生まれる。
書き手が鉢巻き姿で前のめりになりすぎると、読み手は半歩下がる。
そしてその半歩は、思っているより大きい。
だから最近は、笑わせるというより、にじませるくらいでいいのかもしれないと思っている。
生活の中には、そもそも勝手に少しおかしなところがある。自分の中にも、他の人から見れば妙なところがある。
それをわざわざ太字で「ここが今日のおもしろポイントでござい」と掲げなくても、伝わるときは伝わる。
おもしろは、主菜ではなく薬味なのだ。
「少しだけおもしろく」と思っていたはずなのに、気づけば比喩を足し、自虐を足し、最後にもうひと笑い欲しくなっている。
これはうどんにおける、ネギ山盛りだ。
うどんのツルツルとした食感や、優しい出汁の味を少し邪魔してしまう。
たぶん、文章におけるウケ狙いの気配とは、このネギ山盛りに近いものだと思う。
自分の考えた面白さで、できれば笑ってほしい。
そして、1万フォロワーを達成して、うどんに全ての天ぷらをのせられるようになりたい。
そんな強欲さが顔を出すとき、文章は少しうるさくなる。
だからせめて、読み返すときには自分に聞くようにしている。
これは、本当に必要なおもしろか。
それとも、笑わせたいというネギが山盛りなのか。
もちろん、毎回うまく見分けられるわけではない。
むしろ見分けられないから、今日もこうして考えている。
おもしろく書きたい。
でも、ウケを狙いすぎるのはネギ山盛りだ。
常にこの矛盾を抱えて生きている。
これこそが表現者の業であり、終わりのない探求なのだ。
と、ここまで大真面目に書いておいてなんだが、たぶんこの記事自体にもかなりウケ狙いの気配がある。
鉢巻きが肌と一体化したわたしはもう手遅れかもしれない。



タイトル、金言だと思います。肝に銘じます。
”ここ、かなり腕まくりしているな”
ぼくは腕まくりどころか両手にペッペッとかけてから寿司を握ってる気がします。
"おもしろは薬味"など、例えが素晴らしくうんうんと頷きながら読ませて頂きました。
出ましたね、今回も『ネギ』✨嫌いなはずの『ネギ』!!!!!!