大人だって綿菓子が食べたいのさ
以前泊まったホテルの食堂に、綿菓子マシーンがあった。
正式名称は知らない。
ザラメを入れて、割り箸をくるくるすると綿菓子ができる、あの素晴らしい機械だ。
当然、子どもたちに大人気である。
子どもたちは列を作り、割り箸を構え、ふわふわと白い雲を育てていた。
わたしはそれを横目で見ながら、大人の顔をしていた。
ふーん、綿菓子ね。
まあ子どもは好きだよね。
でも、わたしはもう大人だからね。
ビュッフェではもっとこう、海鮮とかローストビーフとか、そういうものに目を向ける年齢だからね。
唐揚げだけじゃなくてサラダもとれるのよ。
なんなら、旅館の懐石で最初に出てくる謎の小鉢のやつも食べられるからね、わたしは。
そう驕っていた。
しかし、子どもが作った綿菓子を一口もらった瞬間、すべてが崩れた。
うまっ!
え!こんなにおいしかったっけ。
綿菓子って、こんなにおいしいものだったっけ。
子どものころの記憶では、縁日で食べる甘くてふわふわしたもの、くらいの認識だった。
袋に描いてあるキャラクターの絵がメインで、中身はおまけくらいに思っていた気もする。
でも、今食べる綿菓子は違った。
口に入れた瞬間、しゅわっと消える。
しゅわっ……。あまっ……。
綿菓子とはよく言ったものだ。
素朴な甘みについ、もう一口ほしくなる。
これは危険だ。
わたしは子どもに言った。
「もう一口ちょうだい」
「いやだ」
なるほどね。
これが子育てか。
これが親になるということか。
わたしは子どもにご飯を食べさせ、服を買い、寝る場所を用意し、日々さまざまな世話をしている。
しかし、綿菓子の前ではそんな実績は一切通用しない。
綿菓子は、作った者のもの。
この世は厳しい。
しばらく、わたしは葛藤した。
本当はあの列に加わりたい。
割り箸を手に、ザラメから雲を生み出したい。
しかし、列に並んでいるのは子どもたちばかりだ。
そこに大人が混じっていいのか。
いいのか?
お前には大人としての矜持がないのか。
いや、ある。
あるはずだ。
少なくとも、あることになっている。
わたしは腕を組み、食堂の一角を見つめた。
綿菓子マシーンは、静かに回っている。
子どもたちは次々と白い雲を作っている。
ずるい。
子どもだけが、こんな素晴らしいものを独占していいのか。綿菓子独占禁止法に違反している。
大人だって、割り箸をくるくるしたい夜がある。
そうだ。
大人になるということは、綿菓子を我慢することではない。
自分の意思で、綿菓子の列に並ぶことだ。
今こそ、割り箸という名の信念の旗を掲げて、堂々と戦いに向かう時がきた。
わたしは立ち上がった。
そして、並んだ。
子どもたちの列に、何食わぬ顔で混じった。
断っておくが、
「子どもの付き添いですけど?」
という腑抜けた顔は一切していない。
そんなことをするのは、敵前逃亡に等しい。
この戦場では腹切りに値するのだ。
綿菓子マシーンを静かに見据え、しかし泰然自若とした佇まいは崩さない。まるで達人のような気迫を纏う、異常に場違いな大人。
だが、もはや退路はない。
他の子どもの親も見ている。
きっと、彼もまた、綿菓子を食べたいのに作るのが恥ずかしく我慢しているに違いない。
その道、わたしが切り開こう。
大人として全力で綿菓子をやらせていただく所存である。
順番が来た。
ザラメを入れる。
機械が回る。
白い糸のようなものがふわふわと出てくる。
割り箸をくるくるする。
思ったより難しい。
子どもたちは簡単そうにやっていたのに、わたしの綿菓子はやや不格好だった。
でも、いい。
これはわたしの綿菓子だ。
誰にも「一口ちょうだい」と言わなくていい。
わたしが作った、わたしだけの雲だ。
口に入れる。
おいしーい♡
大人のプライドは、綿菓子の前ではあまりにも軽かった。でも、綿菓子も軽いので、ちょうどよかった。
その自尊心は、口の中の綿菓子よりも早く、跡形もなく消えていた。




初めまして、かつおと申します。
独特のエッセイ、素敵でした✨勉強になります。
僕は、つい先日、『エッセイストのように生きる』という本を読んで感銘を受けました。
同じように、エッセイと向き合って行きたいと思って、色んな視点から物事を見るように勉強中です🧐
人それぞれ、色んな感性の書き方があるんだなぁってワクワクしました‼️
新しい記事、楽しみにしています📕